かけひきのが楽しいだけ!?ゲーム感覚が原因の蛙化現象
付き合うまでは優しくて沢山連絡くれたのに、付き合ってしばらく経ったら彼がすっかり冷たくなった……そんな話は本当によくあり、別に蛙化現象になったわけではない場合がほとんどですが、ときに本当に好きな相手が自分のものになるとすっかり熱が冷めてしまう人がいます。
散々頑張って振り向いてもらったのに、その状態になってみると相手にまったく魅力を感じなくなり、何で好きだったのかもわからないくらいの感情になってしまいます。
そうして、すぐにまた別の人にターゲットを移し、同じようなことを続けてしまうのです。
それを楽しんで繰り返している人は良いですが、巻き込まれた相手はたまったものではないですし、本人もいずれ虚しさと結局孤独な自分に苦しむことになるでしょう。
昔からそういう人は一定数いますが、一体なぜそんな風なのか?寄り添って理解しようという人も少ないのでは?
周囲からも飽きれられて放置されてしまうことが多い、好きになったら飽きるを繰り返す蛙化現象を起こす人。虚しいループから抜け出すために、今一度、その原因と向き合ってみましょう。
ここではゲーム感覚で成功したら興味がなくなる蛙化現象を代表例として解説していきますが、下記の性質の人にも共通した特徴です。
- 両想いになると満足してしまい、片思いのときと比べて楽しくない
- 努力してやっと振り向いてもらったのに、なぜか嬉しく感じない
- 人から好かれるということ自体に、あまり価値が感じられない
- 恋愛は楽しむもので、真実の愛なんてないと思ってしまう
目次
軽い気持ちの遊びの恋愛とは違う、根が深い恋愛ゲームの闇
男性は追いかけるのが楽しいだけ、なんてよく言いますが、女性は振り向かせるのが楽しいだけ、という場合だってもちろんあります。これは、とくべつ性格が歪んだ人だけに当てはまるものではなく、人間の心理として根底にある問題です。
自分では相手のことをもて遊んでいたつもりはないのに、いざ振り向かれると相手に興味を失くしてしまうと言う人は、実は相手のことが欲しかったのではなく、相手とのかけひきに価値を感じていただけなのかもしれません。
些細なことでやきもきしてみたり、ドキドキしながらメッセージを送ったりするのは誰だって恋愛においてとても楽しい要素でしょう。ですが、その過程自体を楽しんでいる場合、両想いになった場合はクリアしてゲームが終わったも同然。もうやきもきしなくて良い関係になり、大体は自分の思い通りに行くという展開が見えてしまうと、まるで子ども向けのゲームをしているかのようにつまらない気持ちになってしまいます。
この心理の裏には、自分なんかのくだらないゲームに振り回されるような人は尊敬に値しないという心理が隠れていることがあります。表面上の自分に騙されず、その裏にある本当の姿を知って欲しいのに、簡単にコロッといってしまう相手には興味が持てないというのは、わからなくもない感情ですが、なぜ初めから素を出すことが出来ないのか…悩ましいところです。
また、誰かから好かれることに価値を感じ、それによって自信や自己肯定感を保っているために、相手からの「好き」を無意識に集めようとしてしまうという人もいます。自分がその人に好きになってもらえる人間だということを確認した途端、自分の価値が証明されたため、満足して興味を失ってしまうのです。
ゲーム感覚で軽い恋愛を繰り返しているように見える人ほど、胸の奥に隠された闇は、案外深いのかもしれません。
とにかく恋愛ゲームを楽しんでいる間は安心する
どんなに恋愛の酸いも甘いも経験した大人でも、心が弱るとハマってしまうことがあるのが、ただの遊びの恋愛。
恋愛したい、誰かを好きになってときめきたい、誰かからの愛情やぬくもりを感じたい、そんな当たり前の欲求を抱くすべての人が、普通に生きていればそれが叶うわけではありません。
大人になればなるほど人を好きになりづらくなるとも言われますが、年齢に関わらず、本気の好きを見つけられないけれど恋愛したい欲だけがあり、恋愛ゲームに走ってしまう場合があるのです。
このとき、周囲から見たらただの遊びに見えて、何の重みもない形だけの恋愛に見えても、そこに陥っている本人にとっては「本気で好き」に感じます。
遊びの恋愛だ、と自称している場合はその例ではありませんが、本人が無意識にとにかく恋愛による心の満足を得たいと感じていて、それを誰かに向けた場合、本人の欲求は本気だからです。
ひとりで寂しいときと比べて、とにかく誰かと恋愛しているという意識になれば、恋愛の素晴らしさはほとんど体験できると言っても過言ではありません。恋愛は所詮、感情の問題であり、気分を振り回されて乱されれば本気に感じ、少しでも好きな誰かとやりとりができるだけで自分の中では重大な問題となるからです。
いくら世の中に娯楽が増えても、高額なお金がかかるキャバクラやホストなどの水商売が廃れないことも、人間の恋愛したい欲を満たしてくれるエンターテイメントであるからでしょう。
大人が偽りだと分かっている場ですら、本気になってしまうのが恋愛ゲームの魅力。それを、一般人が自分の身近なところで無意識に愉しんでしまったら、事態は泥沼になって当然です。
その人への本気の愛情ではなくて、その人のことを好きなことが楽しい、その人を好きで行動することが楽しい、そういった状態に別に罪はないと思います。
本気で好きなんだと、貫いたって構いません。
ただ、その張本人が、あとで急に冷めてしまう瞬間に苦しむのであれば話は別でしょう。
自分の価値を高めようとしているだけの恋愛
ゲーム感覚とまでは言えないものの、なんだか盛り上がったけれど後から振り返ってみたらすっかり冷めてしまって価値を感じないという恋愛は、若い頃に誰もが経験するものではないでしょうか。
そういう未熟な恋愛を「恋に恋している」なんて言ったりしますが、根本的には恋に恋しているのではなく、恋愛することで「恋愛している自分」を作り出すことが目的なように思います。
一度も恋をしたことがない自分から、恋を知った自分になるために、身近な人と恋愛をして、実際に経験してみたら自分とはまったく合わなくてすっかり冷めてしまう…というのが若い頃はよくありますよね。
ただ、これを恋愛経験が浅いときだけでなくいつまでも繰り返してしまう人のなかには、恋愛することによってまた別の何かを手に入れようとしている場合があります。
それが、自己肯定感です。
自分に自信がなくなったり、自分の人生が楽しくないと感じたりしたときに、魅力的な誰かを見つけ、その誰かと恋愛している自分を作り出すことで、自分の人生に色をつけようとしてしまうのです。
誰かのことを好きでいて、その人に振り向いてもらおうと頑張っているときには、自分の存在などくだらないという心の空しさを忘れられやすくなります。
さらに、闇が深いケースでのその先の目的は、自分が素晴らしいと思っているその人から振り向いてもらうこと。
そういうケースでは、通常の片思いよりも相手に振り向いてもらうために並々ならぬ努力をしたり、演技をして印象操作をしたり、恥もしのばずに積極的に相手を引っかけにいくという行動をすることが多いです。
そうして、目的の相手から自分が好かれたと感じられた途端、目的は達成したために興味を失ってしまいやすくなります。
「自分はこの人から好かれるほど価値がある人間なんだ」という自信、その満足感が目的だからです。
そこから先に関係を続けようとすると、自分自身が空虚だと感じている本当の自分を知られる危険性があります。
そのため、目的を達成したあとは蛙化してピョンピョン逃げていけばいい、というわけです。
相手をコントロールできるという安心感を求めている
ゲーム感覚で恋愛をしているように見える人は、はたから見れば恋愛対象として魅力的な方で、コミュニケーション能力も高く、楽しんで余裕を持って恋愛のやりとりを楽しんでいるように見えます。実際、本人が自信満々でかけひきをしている場合も多いでしょう。
ただ、その根本にあるのは隠れた不安であることがあります。
自分の人生や重要なものごとをコントロールできないと感じている人、本当に愛されたい人から愛されないと感じている人、どんなに自分を好きになってくれる人もいつかは裏切るという不安がある人……生まれ育った過程や過去の経験から、根本的に不安を植え付けられてしまう人は多くいます。
そのとき、恋愛の初期段階というのは比較的コントロールしやすく、達成しやすい課題に見えるのかもしれません。
本当に大好きな相手と両想いになるのは奇跡的で、さらにそれを長く維持するとなれば大変なことであるということは多くの人が感じると思いますが、出会った人と仲良くなっていい感じになるということは案外ハードルが低いものだと思いませんか?
そもそも、人には本能があり、適齢期の男女は恋愛を本能的に求めているものです。
恋愛対象の異性が積極的に好意を示してくれて、自分がOKすら出せばいける!と思った場合には、その両想いが成立する可能性は、大抵の人が思っているよりも遥かに高くなります。
ほとんどの日本人は内気で、好きな人にこそ頑張ってアプローチするなんてとても勇気が出ず、自分に自信が持てずに動き出せないでいるなか、ゲーム感覚で積極的に行動できる人たちはとても有利です。
相手が慎重で誠実で本気でも、自分だけが軽々しく楽しみながら積極的に動くことさえ出来れば、恋愛市場は恋愛ゲーマーの独壇場。
そのため、いくら女遊びの悪評高い遊び人でもモテますし、誰でもいいんだとか陰口を叩かれる女性だって男性陣はみんな本当は大好きです。
そこまでザ・遊び人に限った話ではなく、少しでもゲーム感覚で恋愛してしまう人は、自分が優位に立てるということ、周囲をコントロールする立場になりやすいことから、その罠にハマっていきます。
しかし、簡単に相手を落とせれば落とせるほど、これは自分が本当に求めている愛情や安心感とは違う、大した価値のないものだと感じ、空しくなり相手への好意の欠片も無くなってしまうのです。
ありのままの自分を出していないため、そんな自分を好かれると逆に冷める
散々ゲーム感覚だ、軽い感覚だと解説してきましたが、実際にはゲーム感覚に見える恋愛スタイルをしている人は、案外めちゃくちゃ本気で臨んでいたりします。
例えば、長年誰かに恋をしていてその人の存在そのものが好き、もしその人が自分を好きになってくれたら……なんて淡い期待を抱いている人の方が恋愛感情は深く、本気度が高いように思えますが、相手に好かれるための努力をそこまで必死にしたりはしないことが多いのではないでしょうか。
それに比べて、相手を落とすことが目的の恋愛スタイルの人にとっては、それは本気のタスクであり、失敗すれば意味のないかけひきであり、絶対にうまくやりたいゲームなのです。
もちろん、そうなればどんな努力も工夫もやってみます。
遊び人は女の扱いが上手いからモテると言われますが、本当に扱いを上手くするために努力をしているのです。
ホストが客を繋ぎとめるために完璧な接客をするのと同じように、恋愛対象とした人に対して、完璧な自分を作り上げて演じてしまったりもします。
その辺の原理は男も女もプロでも素人でも同じですが、なんとしても相手から好かれたいと思って、相手から好かれる自分を作り出したとき、それは本当の自分でしょうか?
いざ、相手から好かれてしまったら、自分の努力や演技の効果は実っても、自分自身が好かれたという事実には実際なりません。
そうやって頑張って作った自分を、この人は本物だと思って好きになったんだ、という気持ちになるだけです。
本当は虚構なのに、好かれるために外面を良くしただけなのに、それを好きと言われてしまっては、相手が騙されている道化にしか見えないことでしょう。
その人に好かれたのだという報酬だけは受け取り、本当の自分が好かれるわけではないという空しさを隠しながら、同じようなゲームを繰り返していくことになってしまう人もいます。
心の底では、ありのままを受け容れてくれる人を待っている
これはゲーム感覚の恋愛なんてしていない、ただ単に相手が表面的な部分を見て自分を好きになったのだと感じるすべての人に共通することですが、いざ望みがかなって自分を好きと言ってくれたのに、本当の自分をわかってもらえていないというのは非常に空しいものです。
とくに、世間的に客観的に見て外見や印象的にわかりやすい部分に魅力があるという人は、自分自身は真摯に素の姿を見せているつもりでも、勝手に相手から幻想を抱かれて好かれて、微妙な感情になることも多いのだとか。
モテることが幸せではないと言ってしまうと傲慢には聞こえますが、実際に経験した人は、ただモテても何の意味もない。たった一人にでも本当の自分を受け容れて愛してもらえればそれが一番いいと答えることでしょう。
外見に自信がなかったり、別の部分で引け目を感じていたりすると、恋愛において自分を良く見せたくなり虚構を作り出して頑張って努力してしまうものですが、本当の幸せはそれでは手に入らないのです。
日頃から誰にでも素を見せるというのは現実的ではないですし、心を守ることも出来ないのでおすすめはしませんが、本当に素の自分を出せるかもしれない誰かに出会ったとき、本当に好いて欲しいと願う誰かに出会ったときは、勇気を出して少しずつでも本当の自分を見せていくことの価値を知りましょう。
何人の人に取り繕った自分を好かれることよりも、何回失敗してでもたった一人の人にありのままの自分を知ってもらい、それを愛してもらえることは、価値があるはずです。
ログインしてお気に入りに登録すると、自分のプロフィールページに保存できます。 通知登録すると、トークに新しいコメントがあった場合に通知が届きます。
ご意見・ご感想をお願いいたします!
ログイン&通知登録すれば返信通知を受けとれます。
[投稿を開く> かけひきのが楽しいだけ!?ゲーム感覚が原因の蛙化現象]
[] このトークへのリンクをコピーします。